deeplytruly diary

愛と音楽のある生活 ありのままの普段の暮らしを記録していくブログ

潜在意識の活用と引き寄せの法則 

 

私がこの本に出会ったのは30歳ころだったと思う。人生に行き詰まりを感じていて、なんとかその状況を打破したと思い、手当たり次第に自己啓発系の本を読んだものだ。

この本を読んだときに、まさに目からうろこという感じで、世界の見方が変わったように思う。例えば感謝するということや、祈ること、許すということで、ずいぶん気持ちが楽になったのだ。そして自分自身も完璧ではないという当たり前のことを改めて認識した。

そのころから、自分の人生は自分の思考がつくりあげているとか、自分の言葉が人生をつくっているということを理解しはじめたのだ。そして潜在意識の力も。

 

私は無意識に、しかし強く求めていたのかもしれない。夢のような愛情のある生活、自分のことを理解し認めてまるごと受け止めてくれる人を。

 

映画君の名はの主題歌であるスパークルという曲の歌詞にこんなところがある。

 

嘘みたいな日々を 規格外の意味も

悲劇だっていいから 望んだよ

そしたらドアの外に君が全部抱えてたってたよ

 

強く強く望んでいると、本当にこういうことが起こるのだと思う。自分が描いた世界、自分が夢みたことが、目の前のふと現れるのだ。良いとか悪いとか関係なく。

思い描いていることが、意識しなくても心に描かれているほどあたり前のものになっていれば。それはもう現実となる。

 

今日の私のBGMはショパンの「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ

 

ピアノは小さいころから好きだったけど、ショパンはあまり弾いたことがなかった。弾けなかったというのが正しい言い方だけれど、この年になってショパンの音楽の美しさに気づき、ノクターンの一曲でも弾けるようにしておけばよかったと少し後悔。

このアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズは、youtubeでランランやエフゲニーキーシが弾いているのを聴いて、とても美しい曲だとは思っていた。

大好きになったのは、秋にショパンコンクールで何度も何度も聴いてから。

特にブルース(シャオユー)リウさんの演奏は何度聴いても飽きない。専門的なことはわからないが、彼の演奏を聴いていると、大自然の信じられない不思議さや美しさとか、野生動物のほとばしる生命力とか、そういう息遣いのようなものがひしひしと感じられてとても力をもらえるような気がする。ラストでは興奮状態になって、おもわずブラボーと叫びたくなる感じ。

ショパンの名曲たちを知るよい機会を得られて、この度の配信にはとても感謝している。こんなすてきな曲があったのか、と、新しい曲、新しい感動に出会える瞬間はいつも素晴らしい。生きていてよかったな、と思える瞬間だ。

どうしても忘れたいことをどうして心に刻んでしまうのか

どうしても忘れたいことがある。忘れたいと思っているはずなのに、何度も何度も頭の中に浮かんできて、それを飲み込むことができず、こともあろうに言葉に出してしまったりする。言葉に出してしまうとそれはますます現実味を帯びて、彩りも濃くなって、ほんとうは10年も前のことなのに、あたかもついさっき起こったばかりの出来事のようになってしまうのだ。だから忘れたいと思っているはずなのに、どんどん記憶に深く刻まれていってしまっているような気がして、なんとも悩ましい。

 

夫はそんな昔のことなんか覚えていない、とか、僕は今と未来だけ見ている、とか、過去は過去だとか、いつもそんな風に言うのだが、私はどうしても忘れることができないのだ。たとえばうっかり見てしまった「見たくなかったもの」や、「知らなくてもよかったこと」、「言わなくてもよかったこと」、「聞きたくなかったこと」、そんなものたちを。しかもそれらを本当は見たくないくせに見ようとしてしまったり、知りたくないくせに知ろうとしてしまったりしたことなのでなおさらたちが悪い。

 

自分なりに、忘れるためにどうしたらいいか、思い出さないようにするためにどうしたらいいか、考えてはいる。例えばよく言われるように、余計なことを思い出す暇もないくらい忙しくしているようにするとか、好きなことに集中してみるとか。夫に言われるように楽しいことをたくさんして楽しい記憶で埋め尽くそうとしてみたり。あるいは瞑想のクラスを受けてみて、頭に浮かんだことを追いかけずに、これはただの思考だと手放す練習をしてみたり。あるいはまた忘れたい場面をテレビの画面のようなものだと想像し、まずはつまみで色彩を調節して白黒にして、そのあとその画面をどんどん縮小して最後にはそれをクリックしてゴミ箱に捨てるところまでイメージするという方法なども。これはたしか脳機能学者の苫米地英人博士が言っていた方法だ。

人間のいいところは忘れることができることだ、なんて言われることもある。長期記憶に刻まれるまえにすっかり忘れ去ってしまえばいいのだけれど、どうしてもわざわざ反すうして自ら深く記憶に刻んでしまっている。吉濱ツトムさんという方が動画で、鬱だから反すうするのではなくて、反すうするから鬱状態になっている、と言っているのを聞いて私のことだと思った。世の中には私と同じように反すう思考の泥沼にはまってしまう人がいるようなので、私だけじゃないんだと思えるのはある意味救いになるが。

 

例えば、同じ音楽を何回聴いても、同じ映画を何回見ても、同じ本を何回読んでも、何度でも感動することができたり、毎回違う感じ方ができたりする私を、夫はいいね、と言ってくれる。でも、普通の人が聞き流すようなこと、すぐ忘れるようなことをいつまでも覚えていたり、何度も何度も思い出しては問題視することはやめなさいと。やめようと思ってやめられるなら、こんなに苦労はしていないだろうけれどね。

 

忘れたいといえば、MIBの記憶を消す装置、あれがあったらいいな、と本気で思っている。それから同じくMIBの中のセリフでこんなのがあった。

「答えを知りたくない質問はしないほうがいい」 

まさに、その通りだ。私へ教訓とも言える名セリフだと思う。

くっつきたい、触れたい、触れられたい

例えば夫と歩いてる時や車に乗っている時、買い物中エスカレーターに乗っているときやエレベーターの中で、さりげなく手や体にふれあったり、おでこにキスされたり、頭をポンポンされたりするのが大好きだ。
耳元で「愛してるよ」とか言われるとさすがに嘘くさいというか、軽いというか、そういう風に感じてしまうが、それも嬉しくないわけでわはない。

お互い触れ合いたいとか、くっついていたいという自然な欲求というものが、不思議であり、愛おしい。夫婦でいても、結婚して何年経っていても、死ぬまでずっとそう思える関係でいたい。逆にそういう気持ちがあれば、大丈夫な気がする。

どんなに喧嘩をしても、なんども「もううんざり」と思っても、物や言葉が荒々しく飛び交っても、やはり私は夫に触れたいのだ。頭にくるけれど、それは事実だ。くっつきたくなる。

今日エスカレーターに乗っているときに、私は夫に打ち明けた。
喧嘩もするし大嫌いと思うこともあるけど、こうして触ったりくっつきたくなるということは、やっぱり私はあなたのこと好きなんだと思うよ、と。

愛憎渦巻く?愛憎入り混じる?そんなような言葉があるが、凄くよくわかるような気がする。
そんなことを感じた日曜日の午後だった。

エプソムソルトのこと 

Amazon


ここ数年で顕著に感じるようになってきたのが、生理前の不調。PMSの症状は人それぞれ違うようだが私の場合はもっぱら精神面でのそれだ。私の場合、特に生理が始まる直前、それこそ前日とか、数時間前とか、そういう時が一番ひどい。具体的には悲しみや不安、絶望感。もうおしまいだ、この世の終わりだ、生きている意味なんてない、みんな大嫌い、くらいに思ってしまうのだけど、そう思って泣いていたら、あ、やっぱり来たか、ということが結構ある。

あまりに症状が重かったので婦人科で相談したこともある。ピルの服用という選択肢もあったがなんとなく抵抗があり、担当医に相談のうえしばらく漢方を処方してもらうことにした。私は精神面での不調が多いので、処方されたのは加味逍遙散という漢方。しばらく飲んでみたのだが、正直あまり効果は感じていない。

PMSに悩む私が規則正しい生活とか適度な運動などの基本的な対処に加えてここ一年くらい使っているのがエプソムソルトだ。 テレビなどのメディアで取り上げられることもあるようなので、世間的にはメジャーなものなのかもしれないが、私が知ったのはここ一年くらいのこと。愛用しているのはアースコンシャスというところのエプソムソルトで、女優さんやアスリートなどの愛用者も多いとか。

そもそもエプソムソルトとはソルトという名前がついているものの塩ではなくて、硫酸マグネシウムという白い結晶であり、海水や温泉に含まれる天然成分でもある。

保湿効果や温浴効果、発汗作用があるということなのでリフレッシュできるというのはもちろんのことだが、不足しがちなマグネシウムを経皮吸収できるというのも魅力だ。マグネシウムは必須ミネラルの一つでホルモンバランスの調節などにも影響があるらしく、女性にはつらいPMSの症状の緩和にも効果があるというから、これは試してみるしかない、と使い始めた。

確かに体が温まるし、発汗作用もあるような気がする。デトックス効果でむくみを解消してくれたり、古い角質をおとしてくれるので肌にも良い。なんとなく、ためこんでしまったネガティブな感情やネガティブな何かを浄化してくれるような気するのだ。

筋肉、内臓、ホルモン、私の体が健やかにそれぞれの役割を果たしてくれることを願う。そしてそれぞれが健やかに機能してくれることによって、代謝がスムーズになり、浄化を促してくれるような気がするのだ。実際そういうきちんとしたシステムを理解することが私には必要だと思う。栄養とか、体の構造と機能、私のこの気持ちやそれにかかわるホルモンのことなど。私は何も知らずに振り回されすぎなような気がする。そんなことを考えながら私は今日もエプソムソルト入りのお風呂に入る。 

 

音楽の話。

お風呂の時間によく聴くのはAmazon Musicのプレイリスト。例えば冬にぴったりな曲とか、雨の日に聴きたい曲なんかのプレイリストに並び「バスタイム・クラシック」というのがあって、私はよくそれを聴いている。ソロから協奏曲まで、うっとりと美しい弦楽器の音色を楽しめる曲集で、なかでも私のお気に入りはJ.Sバッハ作曲 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043 第2楽章。

 

エプソムソルト、気長に続けてみよう。

 

 

待ちわびた開花とランチ会議 オリンピック休戦のこと

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薄曇りで寒い朝だったが、うれしいことが2つあった。

一つは夫がお休みで朝のひと時をゆっくりベッドの中で過ごせたこと。目が覚めてから何時間もベッドの中にいることが、我が家ではよくある。もう一つは、なかなか咲かなくて悶々としていた我が家のデンマークカクタスのつぼみがようやく開いてくれたこと。

このデンマークカクタスはシャコバサボテンとも呼ばれていて、秋から冬にかけて花をさかせてくれるので寒い冬に華やかさを与えてくれる。去年買ったときにとても鮮やかなピンク色の花を咲かせていたのだが、開花時期のはずの秋になっても全く花がつく兆しがなく、内心焦っていた。もしかして咲いてくれないのではないかと。実際、春から秋にかけてベランダに出しっぱなしだったので、正直手をかけていたとは言い難いが、割と勢いのある育ち方をしていたので、きっと咲いてくれるだろうと甘く考えていた。

秋も深まってきたころにようやくつぼみをつけてくれたので、慌てて育て方をネットで調べてみたところ、寒い季節は屋内の日の当たる窓辺に置き、短日処理をしてあげることで花が咲くらしかった。また、思いのほかデリケートで、置き場所をちょこちょこ変えるのはよくないらしく、あまり動かさないというのがポイントらしい。

置き場所を定めて、夜はきちんと暗くして、暗い時間をきちんと作ってあげることで花が咲く。夫がいつもテレビや電気をつけっぱなしでリビングで寝落ちしてしまうので、私はよく「夜はちゃんとベッドで寝て!ちゃんと暗くして寝ないと疲れが取れないし…」と小言を言うのだけれど、なんとなくそれを思い出した。

夜はきちんと暗くして眠る。

つぼみがついてからも成長が本当にゆっくりで、まだかまだかと毎日眺めていた。つぼみがついてもポロっと落ちてしまうこともあるようなので、ひやひやしながら。だんだんつぼみが大きくなって、色合いもだんだん濃くなっていく、その成長の様子を見るのが日課になっていて、今朝2つ3つのつぼみが開きかけているのを発見してすぐ「見て見て!」と夫を呼んだ。なんでも分かちあいたいから、この喜びと興奮も押しつけがましく共有する。かなり大きなつぼみなので、全部開くのが楽しみ。なんでこんなに遅いのかしら、とぼやく私に夫が「あなたが育てているからね」と。

 

行きつけのレトロな喫茶店でランチをいただき、クリスマスと年末の過ごし方についての会議。このお店はBGMにクラシック音楽が流れているので、好き。例えば私が「あれ、これなんていう曲だっけ」と聞いたときに、夫が「これはあなたの好きなメンデルスゾーンのピアノトリオ1番の2楽章でしょう」みたいに答えてくれると、なんとも言えずうれしくなる。

休暇中にはくるみ割り人形を全部みてみたいとか、クリスマスには何を食べようとか、お正月には何を食べようとか、そんな会議をしながら、寒い冬の日の午後を過ごした。

 

夫について。優しいけど困ったとろこもたくさんある夫。でも私には一つひそかに心の支えというか心の中の最後の砦のように思っていることがある。それは「ほくろ」。何かというと、私と夫にはまったく同じ場所にある「ほくろ」がある。単なる偶然と言ってしまえばそれまでだが、あまりに同じ場所に同じように存在しているためにそれに気が付いたときに運命を感じざるを得なかった。まるでもともと一人の人間だったみたい。嵐のような日々の中で、もうおしまいだ、もう無理だと思うことも何度もあったが、結局今もこうして一緒にいる。どうしても離れられない。そんなことを繰り返す日々の中で、私はこの「ほくろ」のことを時々思い出す。心配になったときは、ちょっと見せて、と自分と夫のそれを見比べてそれが確かに存在することを確認したりもする。

時に起こる嵐があまりにも激しく戦争レベルな私たち。というか私。今日のランチの会議で話題になったのだが、世界には「オリンピック休戦」というものがあるらしい。オリンピックの期間中にいかなる戦争・紛争も停止するという国際的ルールということだ。なんてすばらしいのだろう。しかもこの聖なる休戦は紀元前8世紀には制定されたというのだから驚きだ。時々戦争の真っ最中に夫が「とりあえず休戦してご飯を一緒に食べよう」なんて言おうものなら、私はよけいに憤慨するのだが、もしかしてあなたやってるのはこういうこと?と聞いたら、うなずく夫。「僕がいつもやっていることでしょう」とのこと。

熱くなるととことん、な私は、死ぬ覚悟で前線に飛び出してなりふり構わず暴れまくるようなものだが、理性的に外交ができる人間になりたいので、この聖なる休戦という制度をぜひとも私の人生に取り入れたいと、真剣に夫に提案した。たとえばクリスマスを平和に過ごすために。夫はもちろん賛成してくれて、ついでに平和条約を締結しようという話に。近々詳細をつめて調印式をしよう、というところまで話進んだ。

 

これがわたしの今日の一日。

これを書いている間に、いつかプレゼントしてもらったストウブのなかでポトフができあがっているだろうと思うと、それもまたうれしい。

 

 

記念すべき今日のこの日に

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初めてブログ書く記念すべき今日のこの日。

まずはアドバイス通り普段の生活のありのままを記録することから始めようと思う。

 

私について。40代女性、既婚、父親ほども歳の離れた夫と二人暮らし。好きなことは音楽を聴くこと、ピアノを弾くこと、おいしいものを食べること(とくにクリームたっぷりのスイーツとシナモンロール、おいしいコーヒーも)、ワイン、長風呂、レパートリーは少ないけれど料理も好き。マッサージやストレッチ、猫、それから夫にべたべたくっつくこと。性格は感情の起伏が激しくて、感動しやすくすぐに泣く。ボロボロと涙をこぼしたり、声を出して泣くようなこともある。もちろんうれしいことには人一倍喜ぶし、楽しい気持ちも人一倍表に出す。夫に言わせると何事も大げさに受け取り過ぎ。良いことや気持ち良いことは人一倍感じてよいが、怒りや悲しみまで倍にすることはないでしょうと。それができればどれだけいいだろうと思うが、なかなかそうはいかず、結局私たちの毎日は時に嵐のようになる。今週はそんな嵐のような一週間だった。

 

恥ずかしげもなく言うのだけれど、私は愛のある生活をずっと求めてきた。愛と音楽のある生活を。夫に出会った頃に「愛と音楽のある生活がしたい」と言ったら、「もう始まっているよ」と言われたのを今でもよく覚えている。

目と目が合った時に微笑みあったり、お互いの体に触れられたり、他愛ない話をしたり、手をつないで歩いたり、寒い夜にくっついて眠れる生活、そんな生活をずっと求めていた。そしていつもその背景には音楽があり、匂いがあり、味があり、手触りがある。私にとって人生とはそういうもののように感じる。

紆余曲折を経てまさにその生活を手に入れることができたのだが、どういうわけか無性に悲しくなったり、孤独を感じてしまうことがある。今これを書いていて気が付いたのだが、もしかしたらそれは私がこの生活を手に入れるために、それまでに生きていた世界を丸ごと手放して新しい世界に生き始めたからなのかもしれない。もしそうだとしたら、私は言ってみれば初心者で、経験値も、装備も、仲間も、これから少しずつ増やしていくものなのかもしれない。

 

このブログは、なんとなく寂しくて、言葉に出すのはなんとなくはばかられるが孤独を感じることもある、そんな私のありのままの生活を記録していくものにしたい。書くことで忘れかけていたものを思い出したり、思いもしらない気もちに気が付いたり、改めて感謝の気持ちを持つことができるようになれば、そんなにうれしいことはない。そして世界のどこかに、少しでも何かを共有することができることができる人がいたら、ほんとうに素敵なことだと思う。

 

今日はこれからクリスマスプレゼントの準備をしよう。

マフラーと香水のプレゼントにリボンをつけて、それからクリスマスケーキも予約しないと。今年は独断でチョコケーキにするつもり。

それから最近さぼりぎみのオンライン英会話。できればフランス語とイタリア語も勉強してみたい。ワインも勉強したいし、心と体のケアについても。

 

 

今日の私のBGMはチャイコフスキー作曲 「ロココの主題による変奏曲」

チェロ協奏曲とは呼ばないらしいが、独奏チェロと管弦楽の構成。序奏、主題、そして7つの変奏曲が次々と繰り広げられる。主題はまるでかわいらしい歌声のように私には聞こえる。しっとりと歌い上げたかと思いきやかわいらしくなったり、盛り上がって盛大にフィナーレとなる本当に大好きな一曲。