deeplytruly diary

愛と音楽のある生活 ありのままの普段の暮らしを記録していくブログ

どうしても忘れたいことをどうして心に刻んでしまうのか

どうしても忘れたいことがある。忘れたいと思っているはずなのに、何度も何度も頭の中に浮かんできて、それを飲み込むことができず、こともあろうに言葉に出してしまったりする。言葉に出してしまうとそれはますます現実味を帯びて、彩りも濃くなって、ほんとうは10年も前のことなのに、あたかもついさっき起こったばかりの出来事のようになってしまうのだ。だから忘れたいと思っているはずなのに、どんどん記憶に深く刻まれていってしまっているような気がして、なんとも悩ましい。

 

夫はそんな昔のことなんか覚えていない、とか、僕は今と未来だけ見ている、とか、過去は過去だとか、いつもそんな風に言うのだが、私はどうしても忘れることができないのだ。たとえばうっかり見てしまった「見たくなかったもの」や、「知らなくてもよかったこと」、「言わなくてもよかったこと」、「聞きたくなかったこと」、そんなものたちを。しかもそれらを本当は見たくないくせに見ようとしてしまったり、知りたくないくせに知ろうとしてしまったりしたことなのでなおさらたちが悪い。

 

自分なりに、忘れるためにどうしたらいいか、思い出さないようにするためにどうしたらいいか、考えてはいる。例えばよく言われるように、余計なことを思い出す暇もないくらい忙しくしているようにするとか、好きなことに集中してみるとか。夫に言われるように楽しいことをたくさんして楽しい記憶で埋め尽くそうとしてみたり。あるいは瞑想のクラスを受けてみて、頭に浮かんだことを追いかけずに、これはただの思考だと手放す練習をしてみたり。あるいはまた忘れたい場面をテレビの画面のようなものだと想像し、まずはつまみで色彩を調節して白黒にして、そのあとその画面をどんどん縮小して最後にはそれをクリックしてゴミ箱に捨てるところまでイメージするという方法なども。これはたしか脳機能学者の苫米地英人博士が言っていた方法だ。

人間のいいところは忘れることができることだ、なんて言われることもある。長期記憶に刻まれるまえにすっかり忘れ去ってしまえばいいのだけれど、どうしてもわざわざ反すうして自ら深く記憶に刻んでしまっている。吉濱ツトムさんという方が動画で、鬱だから反すうするのではなくて、反すうするから鬱状態になっている、と言っているのを聞いて私のことだと思った。世の中には私と同じように反すう思考の泥沼にはまってしまう人がいるようなので、私だけじゃないんだと思えるのはある意味救いになるが。

 

例えば、同じ音楽を何回聴いても、同じ映画を何回見ても、同じ本を何回読んでも、何度でも感動することができたり、毎回違う感じ方ができたりする私を、夫はいいね、と言ってくれる。でも、普通の人が聞き流すようなこと、すぐ忘れるようなことをいつまでも覚えていたり、何度も何度も思い出しては問題視することはやめなさいと。やめようと思ってやめられるなら、こんなに苦労はしていないだろうけれどね。

 

忘れたいといえば、MIBの記憶を消す装置、あれがあったらいいな、と本気で思っている。それから同じくMIBの中のセリフでこんなのがあった。

「答えを知りたくない質問はしないほうがいい」 

まさに、その通りだ。私へ教訓とも言える名セリフだと思う。