deeplytruly diary

愛と音楽のある生活 ありのままの普段の暮らしを記録していくブログ

ツインレイにまつわる私の個人的体験

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ツインレイという言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるのだろうか。ソウルメイトとか、ツインソウルとかはもう少し知られているかもしれないが、このツインレイという言葉には、出会うべき人が出会うべくして出会う、そういうもののような気がする。

私自身もツインレイという言葉はそれまで聞いたことがなかったが、人生の岐路に立たされ思いもよらない方向にむかっていくそのさなかに、この言葉に出会った。 

 

ツインレイというのは「魂の片割れ」いうものらしい。私はスピリチュアルなことについては詳しくないのだが、もともと一つの魂だったものが現世で二つに分かれたということについては、わりとすんなり入ってきた。というのも、男女というのはもともと一つで、地球上にいる自分の片割れを探している、みたいな話は聞いたことがあったし、私自身、地球上のどこかに、本当の私の価値を理解してくれるひとがいるはずだ、と信じる気持ちはずっと持っていたからだ。

 

ツインレイという言葉に出会ってからは、すごくその言葉に惹かれていろいろ調べてみたりもしたし、すごくありがちなんだけれど、そういう鑑定のようなことをしている人に尋ねてみたりだとか、いろんなことをしてみた。

 

でも今にして思うと、ツインレイかどうか、あるいは「本物」かどうか、ということは他人が決めることではないし、何か明確な判断基準があるわけでもないし、こだわるべきところではないな、と思う。例えば出会い方とか、年齢差とか、サイレント期間があるとかないとか、そういうことが気になってしまうこともあるけれど、自分自身が真摯に自分の人生に向き合い、一生懸命に生きて、そして自分の信じるものや理想や大切にしていることやしたいこと、そういうことを忘れずにいればおのずと導かれていくものだと思うのである。そう、「魂の伴侶」に。

信じられないような偶然とか、怖くなるほどの共通点とか、そういうことを経験することは結構あるのかもしれないけれど、私の場合はこんなことがあった。

例えば同じ絵が好きだったこと。

私が大学生の時に初めて画集で見て、画集なのに見たときに涙が出るほど心惹かれた絵画があった。私がその話を何気なくしたときに、夫が一瞬止まった。そのあと、夫もその絵が大好きなんだと教えてくれた。何も知らなかったけれど、ずっと同じ絵が好きだった。

足の同じ場所にほくろがあること。くっついて一緒に横になっていた時、たまたま足の同じ場所にほくろがあることに気が付いて、大はしゃぎで「見て見て!」といったら、夫はなんてことなしに「同じ星からきたんだね」と言っていた。

抱き合ってくっついたときに信じられないくらい気持ちがよくて幸せなこと。もう本当に「ぴったり」としか言いようがないほど、しっくりくる。

私がやりたかったこと、私があこがれていたことを、夫が全部やってきていたこと。私は結局のところ勇気もなかったし、努力も足りなかったし、よくわからないままごまかし続けて生きてきた部分がたくさんあった。言い訳をしてあきらめたり、人のせいにしたり、やりたかったと思っていたはずだけど結局できなかったこともたくさんある。夫と話していたら、本当に不思議なんだけど、仕事にしても生き方にしても、私がやりたかったことをやってきている人生で、うらやましくもあり、妬ましくもあり、でも私に足りないものを補ってくれているような、そんな感じもする。まるで私の人生のように重ね合わせてみてしまったり、自分が体験してきたことのように感じたりもする。

今は思い出せないけれど、ふとした瞬間に、共通点や、真逆の点や、「もともとひとつだった」と思わずにはいられないようなことが起こるこの不思議。

私は夫が「魂の伴侶」だと信じているし、今一緒にいることは避けられなかったように感じる。

このことは私の人生の中での大きな不思議体験の一つとして記録しておきたかった。

もしかして今まさに岐路に立たされている人、あるいは怒涛の変化の中でもがいている人、疑いや不信感や不安や恐怖でいっぱいになっている人がいたら、どうか怖がらずに導かれるままに、心のままに進んでほしいと思う。そして愛し愛される生き方というのを受け入れてほしい。

よく愛されることを許すとか、幸せになることを許すということが大切だと言われたけど、本当にそう思う。そしてありのままの自分、だめな自分も全部受け入れて、世間一般の価値基準でなくて、自分自身の価値観を大切にしてほしい。

世間の常識とか、昔ながらの価値観とか、それだけに縛られるのではなくて、自分なりの幸せを、これからも求めていきたい。